2021-07-01

まとまらないひとであることを活かす力

どうしようもなく気持ちが沈んでただただ無力に思える時がある。

基本的に私は行動的で刺激に満ち溢れてアグレッシブな生活を好む人間であると思っているが、自分が一人で定住しているとき、ネガティブな人と一緒にいる時、周りに何もなくて退屈している時は、どうしようもなく無力な倦怠感に押しつぶされて、好きなこともやらなければならないこともできずに、どうしようもなく苦しくて絶望することがある。いままでもあったが、コロナ下では思うように活動もできず、特にそうである。

逆に、一旦外に出たり、長期で外出や旅に行っているときなどは果てしなくワクワクする。新しい人と出会って、新しい場所と出会って、刺激と想像を繰り返しながら日々を送ること、新たに世界の謎に思考を巡らすこと、みんなで知を共有して共創していくことはなんと幸せで充実していることだろう。そのフロー状態にいられるときは、自分にできないことなど何にもないように感じられるし、多分実際に無い。マレーシア留学のときなどはそんな毎日で、日が経つごとにエネルギーがみなぎってきて、たくさん動くので身体も引き締まって溌剌としていたので、好成績のまま毎週末どこかに行っていた。

なぜ、いつもそのままでいられないんだろう。
なぜ、こんなに気持ちの浮き沈みが大きいんだろう。
なぜ、いつまでたってもやりたいことを一つに絞ることができないんだろう。
なぜ、いつもアクセルとブレーキを同時に踏んで、空ぶかしのストレスを溜めてしまうんだろう。

不自由だと思っていた時には自由にしていたことが、自由な時にはとても不自由で、その不自由は強固で頑丈である。

この気持ちのトラップからどうしたら抜けられるんだろう。
この嫌な気持ちが腹に溜まっていって内臓が破裂しそうで、しんどい。
なんでわたしはこんなに一つ一つのことに不器用で、他の人たちのようにうまく生きることができないんだろう。。。
ってゆうかだいたい考えすぎて、収入に伴っていないことに罪悪感を感じすぎて、「好き」なことがわからなくなってしまった。

はーーーーーーーーーーー、自己嫌悪。

ということを考えていたら、最近衝撃的な本に出会った。
坂口恭平さんの著書「まとまらない人」である。

「まとまらない」事に悩んでいる、と言われるだけで救われるような気がする。
読んでみたら、彼ほどの天才性は私にはまったくないけれど、気持ちや行動に共感する箇所がとても多かった。

いろんな人から「もっと一つに絞ったほうがいいよ」と言われて、それを自分でわかっていながらも10年以上の間しぼることができなかった。なんどもなんども絞ったほうがうまくいく近道だとわかりながらもできなかった。そして今もできない。

でも、それでも成果?を出している人がいる。そんな自分を受け入れて、自然体で生きている人がいると思うとすごく救われたような気がする。そして、坂口さんは躁鬱の症状があるということで、わたしにも少しあるのかもしれないと一瞬思ったりした。

気持ちのアップダウンが激しいということはそういうことなのかもしれない。

「わからないものしかやりたくない」「日常で好奇心を失ったら終わりだ」「本質が見えたら、興味が失せる」
全部良い。というかよくわかる。
ライティングでは指示されたテーマに沿って期限内に提出するということがなかなかできない。
わかる。題材指定されるの苦手だよね。あれだけ自分からしょーもない熱量ブログはかけるのに。
だけどその文章には温かみと自信に満ち溢れていきいきしている。

常に新しいことに関する刺激がないといけない、ドラッグ体質なのかもしれない。
旅に出なくても、感性を揺さぶるものを身近に見つけ続ける。
それはそう簡単なことではない。

が、まだまだ見知らぬ世界に出会いたい。
出会って出会って帰納的に頭の中でシナプスや仮説がつながって、自分なりのストーリーが作られて広がっていくことの面白さ、面白がる力をもっと共有したい。そんな偶発的なギフトがたくさんもらえるような場所を作って行きたい。

心揺さぶる、楽しむ感情を取り戻せ!

ってことかな笑。

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