toggle
2018-11-15

過去に還る者、未来を全うする者が同じ時間を生きる

祖父の介護認定継続調査で一年ぶりにケアマネさんが家に来てくれた。

タイプの違う認知症の高齢な祖父母、高齢認知症の愛犬。去年に比べたらさらに状況は困っているのに、最近は大変すぎて逆に動じなくなってきたと思う。

一年半、本当にいろいろあって、地域や家族の人間関係も仕事も生活も思うように慣れなかったり、上手くいかないことがたくさんあって、日々悩んで悩んで吐きそうになったり、残りの人生は終わりがわからない家族の介護で終わるなと、ある意味諦めたりもしていたけど、旅と家の開拓でギリギリ未来に気持ちをつなぎとめている感じだったように思う。

介護をしていることを、就活や生活の中で社会的にハンデや、ネガティヴに思われたり扱われたことも心外だった(これからは若い世代の両立が当たり前の時代が目の前まで来ている)。うわべの綺麗事でわざわざ色々諭してくる人に会えば、微笑んで心の中で「自分でやってから物言え」と思っていたし、「寄り添う」という言葉を聞くだけで吐き気がした。だいたい、寄り添うという時点で他人の扱いやし、そもそも意識しなくても本来日々やってきているもの。お互いがお互いのペースで共に生きるしかない中で、無理に添われる本人に対しても失礼な物言いだと私は感じている。

でもその肌感覚は、多分経験しないとわからないものだとも思う。実際、経験者の発言と日常の情報の見聞きだけの人の発言は明らかに違う。介護本は知識の範囲を超えず、実践では役には立たない。身体と時間で理解して、日々時間とともに老いていく、心が家族や現世から離れていく様子、それに対する本人の混乱や現世への執着が高まりやがて薄れていく様子を見守りながらも、一方でそれに引きずられずに今を生きる自分たちのことも考えていかなければならない。(たまに魂が現世に戻ってくると幸せな気分になることもある)。物事や生きること、世間の高齢者のニュースに対しても全く見方が変わる。動じなくなる、という変化はそう言うことなんだと思う。傷ついたり、大変さは増えても、心と身体が大切なことを悟っている。

これは介護に限らずともそうなんだろうなと思う。だから、私はやれるだけたくさんのことを自分で経験しておきたいし、いろんな場所や文化を自分の肌で感じたい。世界の色んな物事や人との心の接点を増やしたい。

それでも、きっと一生「分かる」ことはないのだが、わかりえないことをわかっているだけで、人にも自分にも少し優しくなれるような気がする。

あと、全部わからない方がずっと探求できて面白い。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください