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2018-05-27

いつまでも元気に旅を続けられるような食習慣をいかに作るか

私は食べることが好きだ。

しかし、旅に出ると長い間普段とは異なる食生活になる。ましてや飛行機や船などで新鮮なものが食べられる機会なんてそうそうない。

「いかに元気に旅を続けるための食習慣を作るか」これはウズベク旅での油の合わなさと、とスペイン旅での添乗員さんの話から痛感し、そこから今迄当たり前に思っていた世界の食習慣のルーツは、私の大事な探求テーマの一つになった。

旅をするうちに、食の世界標準化と安定供給はお腹を満たしてくれるものの、本来の地勢や気候の適材適所の食習慣や健康という考え方からすると、非合理な面が多いことも気づいた。栄養面にしても、昔の一般人が何十品目も食べ分けたりできているはずがない。

そして、適材適所の食習慣といえば、こんな疑問がある。

インドではなぜ牛を食べないのか?

イスラム教徒はなぜ豚を避けるのか?

ペットにはなぜ食欲を感じないのか?

なぜ西洋人は昆虫を食べないのか?

世界の食習慣にまつわる歴史における謎は深い。

イスラム教徒だから賤獣の豚を食べない、ヒンズー教だから聖獣の牛は食べない。ペットはペットだから食べない。昆虫は気持ち悪いから食べない。それは後から作られたルールであって根本的な説明になっていない。そう思うのは私の他にいないのだろうか。そのルールに疑問は残らないのだろうか?

謎が他に幾つあるのか、その数は到底見当もつかない。そもそも人間が食べるものについて何か一般的で普遍的な法則や事実を導くことは不可能に近い。

そう、不可能に「近い」。

ただ、標準化と飽和状態が進む今の食文化において、自分達の好んでいる食習慣のルーツや環境適合性に対して関心があるのでもっと良く知りたいと思う人もいるかもしれない。

それらを踏まえ、「世界各地の料理に見られる文化の違いは、大部分が気候や生態的な制約と条件が地域によって異なっていることから生じているのではないか」という観点で、食のあれこれのルーツを探ってみる。

たとえば、肉食中心の料理は比較的少ない人口密度かつ作物栽培に適さない土地に関連がある。逆に、菜食中心の料理は、高人口密度に結びつき、地勢、地味と食料の生産方法の技術から、食用動物を飼育するとコスパの悪さから菜食中心となっている、などと考えられないだろうか。

宗教の習慣においても、「宗教だから禁断」なのではなく「そういう環境特性だから結果的に今の宗教習慣となった」と考えられる。

その観点から食文化の歴史を探求し、旅に役立ててみようと思うのだ。

つづくよ。

※写真はイスタンブールのブティックホテルの朝ごはんより。

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