toggle
2018-03-21

世界のもう半分から見た歴史と今 (前編)

以前に話させてもらった、「世界のもう半分から見た歴史と今」というイベントでのレジュメが出て来たので、記録がてら、ブログにも掲載させて頂きます。箇条書きなので、細かい話はトークでないと難しいかなあ。

1.ユーラシア交易ルートの芽吹き

中央アジアの農耕・放牧との共存・共生
(物資と経済のオアシス定住民族、武力のステップ遊牧民族=南北の関係)

オアシス:農産物・食料・手工芸品・隊商税、定住、農耕民族(被支配)
草原の民:狩猟・騎馬・畜産物・移動・通行税・武力・金銭的に弱い(支配)

草原の民の遊牧民の軍事力に身の安全を頼った商人=ソグド商人(イラン系)

中国を抑えて、7~8世紀ごろのビザンツ帝国との交易に躍進

・古代メソポタミアのアッシリア人

 黄金を獲得するために中央アジア北部への交通路を開く「黄金の道」アルトゥン

・アケメネス朝ペルシア

 古代オリエントに生まれた初の巨大帝国(エジプト・中央アジア・中国)

 多民族・多宗教を認めた自治国家(寛容な国家)

 サトラップ制(王の耳・王の目が監視)・王の道(駅伝馬の整備)その他貸金業が興る

 商業活動・硬貨の鋳造・ゾロアスター教

・シルクロードの発展

 【陸路】天山南路がメイン

 洛陽(現在の長安)からヨーロッパのアンティオキアまで6500kmの旅

 中国(漢)からアケメネス朝ペルシア・ローマへもたらされた物:絹・青銅鏡・漆器

 アケメネス朝ペルシア・ローマから中国(漢)へもたらされた物:ガラス・金・銀

 【海路】 インド洋・ペルシャ湾・紅海を経由

 香料:シナモン・胡椒・生姜・チョウジ・ナツメグなど

※キャラバン(ペルシャ語でカルワーン:隊商)=護衛された旅行者の団体という意味

 オアシス都市に拠点のあるオルタック(組合:ギルド)の一種で商人の出資にて設立。商品を集荷し、キャラバンを組織し、キャラバンサライを経営してオアシス間の交易を行う。輸送のためには交通路におけるラクダや馬の飼料確保が必要で、行路の安全保障も必要であるため、安全な移動には遊牧民の協力が必須であった。

2.アラブ商人と砂漠の民

 ・6世紀ビザンツ帝国とササン朝ペルシアの紛争によるシルクロードの断絶

 ・海上輸送→クライシュ族の中継貿易→ハーシム家の台頭→ベドウィンとの格差

  →商人の秩序への渇望→イスラム教の誕生(ムハンマドの啓示610年)

 ・ムハンマド:クライシュ族ハーシム家。性弱説(人間代表のカリスマ商人)。

  カーバ神殿の多神教の否認に伴うメディナへの移動。その後のカーバ神殿の奪還。

  624年のバドルの戦い→井戸を抑えて少ない兵力で戦勝。記念としてラマダーン17日を「救済の日」とし、ラマダーンの1ヶ月を断食月と定める。

 ・隊商・商人の宗教:イスラーム共同体の芽生え

3.イスラーム・アジア文化の繁栄とヨーロッパへの伝播

1)正統(後継者)カリフの時代(4世代)

=ムハンマドの死後、後継者争い・シーア派などの分派が発生

 正統カリフ初代:アブーバクル 2代:ウマル 3代:ウスマーン 4代:アリー

*各派閥と拠点の関係性(その後の各宗派と商業都市に影響)

 アブーバクル派:ムハンマド最愛の妻アーイシャ

         拠点はメッカ・メディナ(アラビア)

         →ムハンマド血縁関係の派閥

 ウマイヤ(ウスマーン)派:ダマスクス総督ムアーウィア(ウマイヤ朝初代)

            →カリフ継承を権力で世襲制とする。拠点はダマスクス(シリア)。

 アリー派:不遇のムハンマドの盟友アリー(シーア派起源)。拠点はクーファ(イラク)。

2)ウマイヤ朝

 =教義の形式化・ウマイヤ家のカリフ権力の私用化・イスラム帝国化

         イスラーム版図の拡大(中央アジア・北アフリカ・スペインへ)

 *「ピレンヌ・テーゼ」:20世紀初頭のベルギー史家アンリ=ピレンヌ

「ムハンマド無くしてシャルルマーニュなし」=「ムハンマドが生まれたことでイスラームが生まれ、そのイスラームがヨーロッパ世界を軍事的・政治的・経済的に包囲・封鎖したため、それによって古代ヨーロッパの経済的・文化的要素が崩壊・消滅。それが契機となりヨーロッパは中世に移行し、シャルルマーニュ(カール大帝)のフランク王国を生み出すことになる」という考え方。

3)アッバース朝

=中央集権国家の整備(常備軍と官僚制):公立メドレセの設立、異教徒・異民族と一般ムスリムの徴税(ジズヤ=人頭税、ハラージュ=土地税)の平等化、異民族・異宗教への寛容統治

=文化が最も繁栄(ハルン・アル・ラシード王:千夜一夜物語):銀の発見、医療、文学、商業都市の発展

=アッバース朝での都市の巨大化:首都バクダードは150万人都市、西方イスラームのコルドバは30万人、カイロは50万人(当時のヨーロッパは北イタリア・フランドルの最も人口の多い都市でも3~4万人)

=広大なイスラム世界における相互扶助の精神は、キャラバンによる貿易活動とキャラバンサライの機能で強化。

=キャラバンでは出自や民族を気にしない(イスラム世界での民主主義=神の前に平等キャラバンは近代以前の世界において、経済成長に欠かせない手段であり、為政者にとっては国民に対する「正義」を達成せよという神の意思に答えるもの。

→キャラバンはイスラムの最後の帝国であるオスマン・トルコまで建設され続ける

→19世紀の経済・交通の近代化・西欧の国家システムにより国境が生まれてから衰退

*ヨーロッパ 中世:封建制時代(土地を媒介とした主従関係)

       近世:絶対主義時代(お金がかかるので、重商主義)

 イスラーム 中世:アッバース朝での絶対主義時代(お金がかかるので、質素倹約)

       近世:ブワイフ朝でのイクター制(土地を媒介とした主従関係・徴税)

 →ヨーロッパとイスラムは逆の歴史を辿る。(マルクスからの発想の転換)

4.スペイン・ポルトガルの新大陸発見と市場のグローバル化

・1491年 ポルトガルのエンリケ航海王子 →インド洋航路

・1492年 スペイン レコンキスタ(アラブ人・ユダヤ人の追放)

            コロンブスの新大陸発見(コロンブスの卵)

 →インディオの金搾取、ポトシ銀山の発見(銀の産出)、有用植物・動物の探求

 →キリスト教徒の残虐行為(奴隷化されたインディオの滅亡)・・ラス・カサスの報告

 →インディオは戦力外だった。(新たな黒人奴隷の投入=奴隷貿易へ)

・1493年 教皇子午線を境に東側をポルトガル、西側をスペインとする

・1494年 トルデシリャス条約(ポルトガルとスペインで世界を二分)

 →日の沈まない国(時差で領土のどこかは常に日が当たっている)

・1498ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を渡り、カリカットへ。インド航路を開拓

 →生態系と人類の世界的な交配→世界の一体化(グローバルへ)

5.オスマントルコ帝国と中国(既存交易構造の最大化)

 復権(14世紀)・・メフメト二世がビザンチンを撃破 オスマン帝国を再建

           キャラバンサライ・ハマム・バザール・水道網・橋・

           学校・病院などをワクフ(宗教寄進)にて再建。

 (後編へ続く。)

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください