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2018-01-11

所詮、結果の良いとこ取りはできない。〜2017年の振り返り〜

2017年は、ギャップイヤーだった。

安定していて先が見えている暮らしから、不安定な先の見えない暮らしへ。
やることなすこと、わからなくて。
脱サラも、無職も、無収入も、介護も、不安定な生活も、初めてのことばかりで。
何から始めていいかわからなかった。
決まったスケジュールがない毎日が不安だった。

特に認知症と向き合って、報われない介護をまともに受け止めて、傷ついたり、腹を立てたり、なだめたり、徘徊から連れて帰るのに苦労したり、そのせいで家を自由に空けられないのが辛かった。仕事がしたいけど、デイの預かり時間も仕事をするには短すぎて積極的に動けず、かといって在宅の仕事を見つけるにも、何をしでかすかわからない介護との両立は難しい。
まともに奈良で生活していたのは小学生までなので友人も少なかったし、関西の友人はほとんど東京に出ている。

ある程度覚悟はして奈良に戻ってはいたものの、やっぱり頭で想定していることと実際の経験は違った。
思っていたよりもずっと地域の暮らしは難しい。

そこからほぼ一年。

毎日通勤しないことへの不安は無くなった。
決まったスケジュールがないことに慣れた。
土の扱い方さえ知らなかった自分が、試行錯誤で作物やスパイスハーブを育てた。
スパイスインストラクターの資格を取った。

かつてのシルクロードのように多様な人や文化が交流しやすい場所を作る上で、奈良のこともたくさん学んだ。
古都奈良のたくさんの歴史文化に触れる中で、改めて「今の生活で普遍的な常識だと思われていることがそうではないこと」を感じた。大きく世界の価値観が変わりつつある現代に、古来から日本の形を試行錯誤で模索してきた奈良の歴史文化を知る意味は大きい。それは今を生きる自分と、そこまで昔の人々が培ってきた悠久の時間や価値観と繋がる、いわば「時空の旅」ができる数少ない場所だと感じた。

そんな奈良で、同じく自分らしい生き方をしていたり、私と同じように新たな生き方を模索しているたくさんの魅力的な方と出会った。彼らは共通して、自分の価値観を大切にして生きている。そうでないと、時の流れが違うこの異質な場所をわざわざ選ばないのかもしれない。

そんな時間や物事が自然中心に回る暮らしでは、いくら前から何年も先の計画を立てたって足元から思い通りに運ばない。人間中心で回る都市部とは時間との付き合い方が違うのだ。その前提で、今自分ができることが何かを考えられるようになった。

情報が人間本来の処理速度の限界を超えて溢れている世の中で、私達は労無くして最短で他人の出した正解を求めたがる。でも、世の中の大半のことは「こうでないといけない」ということは無い。

都会じゃ無いといけない、地域じゃ無いといけない。最先端じゃなきゃいけない、手仕事じゃなきゃいけない。宗教が無いといけない、宗教があるからいけない。無駄を作ってはいけない、時間にとらわれてはいけない。他人と違ってはいけない、オリジナリティがなければならない。資本主義でなければいけない、資本主義ではやめるべきだ。休んでは行けない、休まなければ行けない。などなど、気がつくと私たちは無意識に自分ではない誰かの「こうでないといけない」という情報に日々晒されている。

何事もそんなにすぐ白黒つくものでは無い。そして、それは自分で熟成して模索するプロセスを経験しないと見えてこないことだ。
結果の良いとこ取りはできない。

「白黒即決」と「こうで無いと行けない」という思考から自由になることで、気持ちも楽になるし、物事を面白くできる可能性がぐんと広がる。所詮、世の中の価値観も、命も、世界もすべてのことは必ず移ろい変わって行くもので、絶対的なものなど何もない。そう思えると、一喜一憂せず長い視野で前に進むことができる。

心のどこかでそう気楽に構えながら、新たな一年に対しても色々懲りずに変革を起こしていきたい。

*お花は2017年の「はならあと」のイベント時に撮影した写真。可愛い💕

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