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2017-08-12

イランの真珠、イスファハーンにときめいて

イランに行きたい。

もう何年も前から行きたい。
そこには、ペルシャ帝国の美しい文化や遺産があるからだ。

しかし、去年は申し込んだツアーが催行されず、その後に申し込んだ別の会社のツアーも人数不足で催行されなかった。

おかしい。

どうして世界のバックパッカーが「もっともホスピタリティがあって良かった国」としてイランを選んでいるにもかかわらず、日本ではこんなに馴染みがないのだ。治安だって、当局がかなり厳しく管理しているために中東ではかなり良い方だ。問題があるとすれば、アメリカとサウジと仲が悪い。イランは、世界中のイスラーム教シーア派の聖地マシュハドを抱えるシーア派国家であることから、スンニ派が巡礼をする聖地を抱えるスンニ派(スンニ派というのはシーア派と区別をするためにつけた名前で、「慣習(al-Sunna)」からきている。)の親玉大国のサウジアラビアと、同国と石油などの利権関係で影響力を持つアメリカから敵視されている。イランも石油は保有しているのだが、ロシアと中国資本が大きいので、そう行った牽制的な理由もあると思われる。
というわけで、アメリカ国籍保有者のパスポートではイランに入国できないし、逆もできない。さらに、アメリカの場合はイラン訪問歴のある旅行者がアメリカ訪問する際にビザが必要となっている。

私の場合も、行くとその後はアメリカに行く時にはESTAが使えないので、非移民ビザを取得する必要がある。これが面倒臭い。ただし、10年間有効であるので、一旦取得できると2年更新のESTAより楽だ。
そうなると、結論は決まっている。「やっぱり行こう」だ。

フライトは色々悩んだものの、私は乗り継ぎの待ち時間が一番少なかったカタール航空で行くことにした。関空から羽田、羽田からカタールのドーハ(12h)、ドーハからイランのテヘラン(2h)という流れになる。時期は、灼熱の夏を越して、ちょうど涼しくなる11月初旬。いつも通り一人で行こうと思っていたが、「イランに行きたい」という旨の投稿をしたところ友人が行きたいと言ってくれ、さらにその友人も行きたいと言ってくれたため、今のところ3人で行くことになっている。全員女子だから、女子の嗜みも忘れてはいけないので頭を隠すヒジャブや、全身を隠す黒いチャードルを準備しておく。

欧米の人が、中国人と韓国人と日本人を見分けるのが難しいように中東の国々の人々は、日本人にとっては見分けがつきにくいと言われる。ただ、トルコ人やモロッコ人、サウジの人など中東の人々本人たちに聞くと、イスラームの戒律に基づく習慣が国によってマイルドなものからハードなものまでバリエーションがあるため、格好や仕草で大体わかるとのことだった。面白い。暑くても絶対チャードルを人前で取らず、目元以外はほぼ全て体を隠している人は、もっとも慣習が厳格なサウジアラビアの人であることが多い。それに比べると、イランは顔を出しているし(バンダル・アッバースという街ではヒジャブと仮面をつけているそうだが)、トルコに至っては経済活動を優先することで政教分離を進めてきた結果何もつけていない人も多い。

イランという国は中東全般のイスラームを国教としている国々の中では異質な存在である。

そもそも、イスラームというのは、アラビア半島の砂漠の民ベドウィンの中で仲介貿易を始めたクライシュ族の血を引くムハンマドが興した「同じ交易文化圏において商人が安全に商売を維持するための慣習」をまとめた宗教である。そして、一般的に西洋に伝播してルネサンスを興すことにつながった高度なイスラーム文明は、彼の死後に後継者(カリフ)が覇権を伸ばすために勢力を拡大をした際に制圧したエジプトとペルシャの文化を取り入れて花開いたものである。そのため、本来砂漠以外何もない貧しいラクダの遊牧民であったアラビア半島(主にサウジアラビア)が文明の宗主として幅を利かせているのは、彼らにとって面白くない。エジプトにおいてはなぜか昔からいろんな国からの被支配体質であるせいか特に意識していない。しかし、イランにおいては昔から連綿と培ってきた医学・文学・天文学・薬草学・数学・建築学などの世界に誇る高度なペルシャ帝国文明と圧倒的な強さに高い誇りや自負を持っていて、それを侵略されて文化を流用したイスラームの主流派において対抗するべく、自国に流れて来た少数派のシーア派を取り込み、それまで主流であった遊牧民の宗教であるゾロアスター教(拝火教)などの宗教の代わりにイスラームのシーア派を国教と定め牽制した。

その一時期は全ての文明において世界一だったと自負できる期間に、当時のシャー(王様)によって作られた王の広場は、あまりの壮大さから「世界の半分」と呼ばれていたり、壮麗さをたたえて「イランの真珠」と呼ばれたりしている。

当時の建築を描写したもの(イラン/イスファハーン)

現在(同上)

そうです、写真ではうまく伝わらないですがこのとてつもなく広い空間と、世界中の人が文明を学びに訪ねて来ていた美しいイスラーム建築に私は出会いたいのです。

そして、「食」。イランの食もモチロン、ぺルシャ帝国の文化を受け継いでおり、ハーブやスパイス、フルーツ、ローズウォーターをふんだんに使ったお料理が多い。ザクロと鶏肉と胡桃のシチュー(フェッセンジャン)などもそうだ。一般的に、昼夜の温度の差が激しくて乾燥している土地では甘い果物が育つことが多い。例えば日よけがわりに植えられるブドウや、スイカ、メロン、ザクロ、桃、胡桃、ナツメヤシの実(デーツ)。ミントやサフランもお湯を入れてティーを作り、夏場に飲んで熱中症を避けたりする。暑い国ならではの知恵の籠った食事を色々体験してみたい。

さらに、ペルシャ帝国時代の「カナート」(水路)のシステムを実際にこの目で見てみたい。ウイグルから中央アジア、中東のシルクロードの砂漠地帯において、「水」を制するものは「世界を制する」ものだった。そのため、オアシス都市のように自然に水に恵まれた土地に定住する農耕民もいれば、ペルシアのように国家をあげて金と人力を使って地下水路網を巡らし、緑の青々としたイスラーム庭園やお風呂を作ることに成功している。これまでも、中国の新疆ウイグル自治区やウズベキスタン、スペインで水利施設の跡をみては来たが、規模が違う。庭には噴水があり、また至る所で常時水が噴き出しており、その止まることのない水の音がそのまま「ライフラインである水をこんなにふんだんに使える豊かさ」を示している。水利施設は今でも一部使われている。

とまあ、これだけ素晴らしい遺跡文化にあふれているのに、残念なことに、現代のイランでは当局の規制などもあり国外から宿泊施設の予約がしづらかったり、異教徒の女の人が一人で街を歩きづらかったり、政治色の話をすることがNGだったり、インフレが大きいのでイランの通貨のリアルに交換した際にすごい札束になったり、アメリカの影響でFBやGoogleが使えなかったり(手動で脱獄させれば使える)、カードが使えなかったり、滞在場所を管理されるなど、旅においては色々気を使うことが多い。

そういう訳で、これから色々情報蒐集をしていきたいと思う。

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