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2016-11-22

夜の旅語り〜物事の前身の光と闇 その2〜

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インド人が住み着いた、世界で最もリーズナブルにリゾート生活ができる街の一つと評される、スペインはアリカンテの城塞。
http://tabi-labo.com/183842/live-rich/

わたしたちの暮らしはいろいろなものの影響を受けて今日のものとなっています。
それらについて、本日は「世界商品とプランテーション」というキーワードでお話しましょう。

さて、エンリケ航海王子がアフリカ西海岸を見つけ、その後バルトロメウ•ディアスが喜望峰を見つけ、東廻り航路を築こうとした時に、コロンブスが西回り航路を作り、新大陸を発見しました。このあと、大慌てのポルトガルは、バスコ•ダ•ガマを派遣して、魔物の巣窟と恐れられた喜望峰を難なく越え、インドまでの商業ルートを開きました。西回り航路に比べると相当な遠回りになりましたが、資源は未知数のアメリカ大陸を見つけたコロンブスと違って、きっちり香辛料の購買ルートを作ってきました。
物の本によると、ガマは航海術は得意ではなく、政治的手腕にすぐれた人間でした。そんな彼が採用されたのは、ヨーロッパでは銀と同じ価値を生み出すスパイスを、インディオ達と直接交渉することにより破格で入手するための協力的関係を作る上で必要だとポルトガルが見通していたからです。

そんなこんなで西に行くスペインと東に行くポルトガルは互いに航海で世界を手中に収めようとしたのですが、ガリレオさんが言ったように地球は丸いためにお互いの利害がぶつかったのですね。
ですから、世界を山分けしようと境界線を引いた。一回目は、1493年にローマ教皇に引いてもらったのですが(教皇子午線)、彼がスペイン出身だったためにポルトガルに不満の残る采配となり、ポルトガルがスペインに直談判してもう少し西側までずらしてもらい、西経46度37分で落ち着いた。これが二回目のトルデシリャス条約で、1494年のことです。この時にポルトガルに入ったのがブラジルの一部で(アメリゴ ベスプッチさんが見つけたとか見つけてないとか)、たまたまブラジルの資源が豊富だったために、ポルトガルがずんずんずんずん西側に進んでしまい、三たびスペインと境界線を引き直したのが後の1529年のサラゴサ条約です。
これらのかなり強引に世界分割な線を植民地分解線と呼ばれたのですが、スペインとポルトガルはそれぐらい強い資本力を手に入れたと。

で、「コロンブスの交換」に話は戻ります。
わたくしは、これが地球を変えた一大転機だと申しました。この理由についてお話しいたしましょう。ここからが面白い?のです。

コロンブスの見つけた、なんだか未知数な大陸は、その実ものすごく多くのことを果たしました。
まずは植物の発見です。ジャガイモとトマト。これは非常に大きいです。当時のヨーロッパは干ばつも多く、また日光が弱く土壌の良くないアイルランド、またフランス、ドイツ、ロシアなど食料に困っていた国国に数百年後に渡る。ちなみにコーンもなのですが、これは豚に食べさせるものだとして、ヨーロッパ人にはあまり受けませんでした。その代わりに何故か中東などで人気があったので、メッカコーンと呼ばれたりしていました。チェケルデッキと言いますが、ひまわりの種とか、柿の種をひたすら食べるの大好きですものね。このおかげでヨーロッパの人口は爆発的に増加します。そしてトマトもスペイン、イタリアを中心に普及していきました。

これだけだとよかったのですが、スペイン人の持ち込んだ家畜などがアメリカの生態系を変え、また現地民は、ジャガイモ畑を焼き討ちされたり、西洋人に病気を持ち込まれたり、プランテーションの前身で強制労働をさせられたりして全滅してしまいます。ペルーでは最高級のジャガイモがあり、その畑を焼き討ちされたので死滅したかと思われていた品種が、最近復活を遂げ、日本でも売られるようになりました。その品種が「インカの目覚め」です。これが甘くて美味しい。

食べ物の話は置いといて。

そして、現地民が死滅し、西洋人の持ち込んだ外来種の家畜は既存種を駆逐していきました。
現地民がいなくなると、代わりに労働力として連れてこられたのが、アフリカ大陸民です。ポルトガルは悪名高くて、現地の酋長などにお金を渡しては現地民を奴隷として捕まえ、西洋列強に売り渡したりしていました。

奴隷船に無理やり詰め込み、未知の土地に連れて行きはたらかせるのですから、たくさんの人が死んでしまいます。また、当然白人も現地に監督として住むのですから混血(クレオール)にもなりますし、強制的な移民なので土着の生活からは一変しつつも自分たちの文化を守りながら暮らし始めるので、その土地本来の文化もガラッと変わってしまう。
また、これから詳しく話すのですが、主目的である資源や動植物の搾取が終わると、広い土壌と現地民の労働力を生かした形で、大規模な生産を意図したプランテーション経営がはじまります。

ここからが本題で、それに大きな影響を与えたのが「世界商品」と呼ばれる、プランテーションで生産される商品の砂糖、コーヒー、チョコレート、紅茶、ゴムの木などなのです。

また一方で、ポルトガルは喜望峰を抜けてインド航路を確立し、香辛料貿易に力を入れていきます。

これらの二つと生産のあり方の変化が、イスラム文明に大きなマイナス転換をもたらすことになっていくのでございます。

そして時代は過ぎ、アフリカ大陸の奴隷やポトシ銀山の銀など、ありものの資源の奪取に労働力を使い商売をしていたスペインやポルトガルが、資源の枯渇や物資価格の低下とともに力をなくしてきて、その代わりに台頭してきたのが、商魂激しい売って売って売りまくるオランダ、イギリスの東インド会社たちで、これらが本格的なプランテーション体制を確立し、やがて現代人の食事やワークスタイルなどを確立していくのです。

自然界に直線がないように、人間は本来規則正しく生きることができないものです。ルネッサンスまではゆるゆるときた生活が、どうして時間をきっちり守らないといけなくなったのか?きっちり働かなくてはいけなくなったのか?

それについては、プランテーションの構造そのものと世界商品の市場開拓と流通が関係するのですが、列強の動きとともにじっくりと次回にお話しいたします。

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